これまでの経緯

1. はじめに

今回の「直結地下道」の議論の前提として、なぜこんな場所に西武新宿駅があるのか、なぜこれまで何の対応策も打たれてこなかったのかは気になる所だろう。それらについての大まかな流れを纏めてみた。

なお、西武新宿駅に関連する歴史を史料に基づき詳しく纏めているサイトを見つけたので、適宜、参照させて頂くと共に、参考資料としてリンクを貼っておく。

 

2. なぜこんな場所に

西武新宿線高田馬場〜西武新宿間が開通したのは1952年(昭和27年)。当時はその2年後の新宿駅の大改造時に国鉄新宿駅に乗り入れる計画であり、現在の西武新宿駅は「仮駅」の位置づけだった。

しかし実際に駅ビルの建設を含む「大改造」が実現したのは1964年(昭和39年)、そして翌年の1965年(昭和40年)に乗り入れを断念した。その結果、「仮駅」がそのまま現在まで存置されることとなった。

ちなみに、乗り入れを断念した理由は、当初、新駅は6両2線を想定していたが、1965年頃にはそれでは明らかにキャパシティ不足となっており、その状況を踏まえた運輸省の勧告に従ったためとのことだ。

<参考資料>

 

3. 「直結地下道」の萌芽

一向に進展しない乗り入れ計画と並行して、靖国通り地下街の「サブナード」計画が動き出したのが1962年(昭和37年)だ。

実は、この「サブナード」の第二期計画として、今回の「直結地下道」に当たるルートの地下道が盛り込まれていたのだ。現在、「サブナード」の西端にやや広めの空間が確保されているのも、この第二期計画を睨んでのものだったのだろう。

乗り入れが実現しなくても、この時点で「直結地下道」さえ実現していれば、西武新宿駅の乗り換え問題は一定の解決が得られていたはずだが、残念ながら1970年(昭和45年)にこれも頓挫する。

頓挫した理由は、上部の「新宿通り」の幅が足りないため。下でリンクした「参考資料」に以下の記載がある。

道路幅は全体で25m(国鉄寄り歩道4.4m、民地側歩道3.8mを含む)。16.80mのみが車線である。地下建物の地表への階段出入口(幅員3m)をとるためには、歩道を両側7mにしなければならない。すると残りの車道は11m幅になる。これだと、車線確保はギリギリであり、しかもS形にカーブしていて、車輌運行上の危険がある。しかもこれは地下駐車場から地表へのランプ設置場所が確保できない。

これが、今回の「直結地下道」で再び問題にならないか気になる所ではある。

しかし、当時は地下駐車場の併設を想定していたが、今回は駐車場の構想はないこと、また歩行者用通路だけであれば新宿駅南口と副都心線新宿三丁目駅の間の通路で出入口の間隔が約120メートルのものがすでに実現しており、「直結地下道」の途中出入口は不要と思われることから、特段、問題にはならないと見ている。

<参考資料>

 

4. 大深度急行線プロジェクト

1987年(昭和62年)には西武新宿線複々線化のための急行線を大深度地下で建設し、そのターミナルを西武新宿駅新宿駅の間の地下(すなわち、今回の「直結地下道」建設地)に建設するプロジェクトが浮上した。これも西武新宿駅の接続改善の動きの一つとも言えるだろう。

しかし、このプロジェクトもまた、費用捻出のための運賃上乗せまで進みながら、1995年(平成7年)に無期限延期、すなわち事実上断念することとなる。費用見積もりは倍増、需要予測は下方修正という典型的なバブルプロジェクトだった。

ちなみに、無期限延期中のこのプロジェクトが宙ぶらりんになって、その新宿駅予定地に触ることが難しかったことが、「直結地下道」の計画がここまで遅れた最大の要因ではないかと私は睨んでいる。2011年(平成23年)に決定した中野区内の連続立体化すら、本プロジェクトの「変更」という位置づけなのだから。

<参考資料>

 

5. そして

こうして、開業以来の課題に対して、何の解決策も見いだせないまま、半世紀以上が経過し、西武新宿駅は依然不便なままた。西武新宿線ユーザーの一人として非常に残念な思いだ。

それだけに、今回の「新宿の拠点再整備方針」に盛り込まれた「直結地下道」に対する期待は大きい。なんとしても早期に実現するよう、声を上げて行きたいと思う。